最も大切なことは、自分自身が幸せであるということ
人間に生まれてきた意味を知り、最も望んでいたことを追い求め知ることが人生の喜びです。
自分自身とは何者なのかを完全に知り遂げることが人生の達成すべき目的であり成功です。
私たちは移り変わることのない、常に満たされた幸せな存在であることが真実です。
しかし、目の前にある全てが移り変わりゆく世界であり、それを見ているため惑わされてしまいがちです。
私たちは生まれてから様々な記憶を通して間違った観念を自分や世界に重ね合わせ、真実の自己を知らずに本当にあるものに上乗せした見方によってそこにはないものや間違った捉え方をしてしまい、あるがままのことが見えずに妄想や幻想を手にしようとします。
移り変わる外側に幸せや喜びを追い求めることで私たちはその影響を受けて苦しみや悲しみます。
自分と他者との比較や競争で優劣をつけて相手や自分を見下したり優越感に浸ったりしながら無知による小さな観念の自分を保とうとします。
また、他者からの評価を過度に気にしたり他者を自分の小さな枠組みの中で判断することで傷ついたり傷つけたりしてしまいます。
過度な喜びも一時的に舞い上がっては落胆を抱き再び苦しみや悲しみになり、何かに依存しては失うことへの恐れと不安で行動し、どうにもならないことをなんとかやりくりしようと足掻き、思い通りにいかないことに苦しみます。
本当の幸せは外側にあるもので手にすることはできません。
内なる自分自身の心、すなわち智慧の目によって正しくものごとを見て理解することで本当の幸せに到達するものです。
真実を理解し自分が幸せであることを知れば、どのような状況でも寛容になり冷静に受け止めることができます。
自分が幸せであるからこそ周りの人も幸せになれるのです。
最も必要な知識を追い求め、生きる知恵を養っていくことがこの学びの最初のステップです。
今与えられている役割の中で起こることをどのように受け止め理解していくのかがタパス、修行です。
そして、人生に起こることは全て今世や前世に自分がしてきた行いの結果が実っています。
その行いの結果を自ら刈り取らなければなりません。その結果に好き嫌いを重ねていることを識別し、良い悪いの判断ではなく、全ては宇宙の法則であるĪśvaraから与えられている贈り物として受け取り、その法則に対して行いを捧げること、つまり他者へ与え貢献することで心は浄化されていきます。
人生は自分で創り出しているのです。
自分の中に起こる感情や推論などを含む思考と感覚器官、肉体を客体化し、十分に観察しながら学びを熟考していくことで自己理解をすれば、他者をも理解することができます。
自分に起こることも外側に起こることもありのままに歪みなく客観的に捉え理解し、全ての生きとし生けるものは同じ存在であると理解できるように精神的な成熟をしていくことが鍵です。
山に篭って瞑想に耽ることや滝に打たれる必要はなく、今ここにある全てが自己成長のための舞台なのです。
綺麗な心には当然のごとく幸せな自分自身が理解され、自分が自分であることに落ち着きます。
そして、他の何かになろうとする生き方を終え、完全な自己受容という人生の真の成功を成し遂げることができます。
古来から伝わる叡智を学ぶことで、その真実を知り理解することができます。
崇高な叡智 VEDĀNTA
ヴェーダーンタとは、5000年以上も口伝で継承されてきたこの宇宙の真理です。
ヴェーダとは知識の意味で、その前半は因果律を含む生き方について教えられており、それをヨーガと呼びます。
最後の一割にも満たない部分に、自己の本質とその宇宙観の知識が教えられています。
その最後の結論の部分を、終わりを意味するantaという言葉がVedaに付いてVedānta(ヴェーダーンタ)と呼びます。
その伝統を受け継ぎ、正しい方法論を使って丁寧に学んでいきます。
授業料は伝統に倣って、話を聞いて得られた価値とご自身の経済観念から金額を決めて先生に渡すダクシナーという制度をとっております。
クラスを聞いた後に先生に直接お渡し下さい。
教えを聞くことそのものが神聖な儀式であり、ダクシナーを渡すことで儀式が完了し、その知識が自分の理解として実るとされています。
当方では動画学習のみの方は受け付けておりません。リアルタイムでオンラインクラスに参加してまとめなどを提出していただき、復習として動画を共有しております。クラスへの参加がなく、まとめを提出するなどの直接的なコミュニケーションを取れない方は動画や情報共有はしておりませんので、ご理解いただき、学べるタイミングになった時にご参加いただけますと幸いです。
人は自分のものの捉え方で言葉や物事を理解しようとしますが、ヴェーダーンタの場合は、その個人の思考を全て破壊する学びなので、自分の考えで言葉を解釈することなく、その考えを聖典と先生に明け渡していかなければなりません。教師は間違った考えを完全に修正し全ての物事をありのままに認識できるように成長させるため、生徒がどのように考えているのかを把握し、生徒の現状を十分に理解する必要があります。その上で、生徒一人一人にに合った方法で成長を促し理解できる資質を準備し整えていきます。
しかし、一般常識的なことがわからない人の場合、言葉を大切に扱わずに自分の間違った解釈で第三者に伝えてしまい、歪んだものに変えてしまいます。また、資料や動画などを無断で第三者に提供したり、出典を付ける事なく自分が思いついたかのようにサイトに記載されている内容や教えたことを他者に話してしまいます。言葉と言葉のつながりを正しく理解せず短絡的に表面的な言葉を羅列するだけで、意味や定義は理解せず、見えない背景を読み取り正しい推論を使う高度な思考能力を養っていくための学びも歪んだものや中身のないものにされてしまいます。
そのようなことにならないように、生徒と教師の十分なコミュニケーションの下で知識を教授しています。
ですから、適切なコミュニケーションがないと聖典に対して正しい姿勢で向き合うことができないまま、与えられている知識を蔑ろにしてしまっては逆の働きになる可能性があります。
聖典を学び思考が拡張すると、過去に抑圧してきたたくさんの苦しみと直面しながら向き合い解放していくプロセスがありますが、正しい教師の下で守られながら学ばなければ精神的な混乱を強めて、かえって苦しみが増強して耐えきれなくなることもあります。そのため、聖典を学ぶ資質が不十分である方には前段階として当方で心理療法を受けていただくようお願いしております。ご理解とご協力をお願い申し上げます。
自分を内観することなく対象に自身の不満や不幸を投影して暴言や他者の誹謗中傷をする方などはご遠慮いただいております。
※こちらのサイトの文章の引用に関しまして、必ず引用元のリンクとして貼付していただけますようお願い申し上げます。
Śruti : Upaniṣad
インドでは、古来から伝わる叡智であるこの宇宙の真理が説かれた聖典、シャーストラがあり、その最後の結論に特化したものをウパニシャッドといい、審議の上決定された正統なものが108あります。その中でも自己の知識について説かれているものが12あり、そのうちの10個にアーディ・シャンカラーチャーリヤという偉大な先生が解説を付けました。
その正統な知識が教えられている聖典がウパニシャッドで、それをシュルティといいます。
それを順番に学びます。どのウパニシャッドも方法論と結論は同じですが、比喩やモデルが異なるため、ある程度理解が進んでから10のウパニシャッドを学ぶことによって、知識の整合性が取れて詳細な部分まで完全な理解に至ります。
しかし、それを学ぶ以前に理解できる知性や態度を養うためにプラカラナやバガヴァッドギーターなどを学び、この宇宙や地球、生きとし生けるものに対する道徳観や倫理観を自然と選べるよう、秩序や法則を読み取りそれに従うダルマに沿った生き方であるカルマヨーガをすることで考えを整えていくことが必要になります。
Smṛti : Bhagavadgītā
ウパニシャッドのように宇宙の始まりからあるものではありませんが、シュルティと同等な価値が認められている聖典、シャーストラをスムルティといいます。その中には、マハーバーラタ、その中心に置かれたバガヴァッドギーターがあり、これにもシャンカラーチャーリヤが解説を付けました。ラーマーヤナ、プラーナもあり、韻を踏んだ詩の形式になっています。
自分自身とは何者なのか、神とは一体何か、この宇宙とはどのようなものか、およびその同一性がすべて教えられており、それを学びながら前半部分では人生の中で目の前に起こることをどのように見て何を選び進むのか、ヨーガの生き方が細かく教えられています。最終的にモークシャといわれる人生の結論を理解します。初めから安心である自分自身は移り変わる世界に依存せず自立しており、この宇宙のすべてを支え、あまねく浸透し満ち満ちており、移り変わることなくすでに幸せな存在であるというのが真実です。その立場から見れば、これまでの自分や世界に対する間違いや固定概念などにとらわれていた個人の観念による束縛から自由になり、あらゆる苦悩から解放されることであり、それが結論であり終着地です。それを理解できる知性を養うことが人生という道であり、そのための生き方がヨーガです。
バガヴァッドギーターを中心に長期間かけて丁寧に継続的に学んでいきます。
Prakaraṇa :Tattvabodha
シュルティとスムルティを伝統の中で学んできた聖者たちが書き残した聖典で、その内容は正統な聖典と一致しており、とても簡潔明瞭でコンパクトにまとまっているため、最初に学ぶのに良いとされています。
タットヴァボーダだけではなく、アートマボーダなどたくさんの小さな初級の聖典があります。どれを学んでもヴェーダーンタの全体像を掴める俯瞰図のようなもので、この知識を大きく捉えることができ、何を学ぶのかを把握することができます。最終的にはたった一つの同じことを教えてくれています。

Vedāntaとは究極の自己探究
自分とは何者かの真実
私とは一体何者なのか、そのような疑問を抱いたことはないでしょうか。
その答えを探すかのように、私たちは様々なことを学び探究し続けています。
しかし、どれを学んでも、何かまだその知識が満たされない感覚が残ることもあります。
そのような方にとって、その全てを解決してくれるのがこのヴェーダーンタ、自己の本質である真実の知識です。
自分が自分を知らないがゆえに、一人でいると孤独感を抱き、あれこれやることを見つけては忙しいと時間を失っていき、動き回る思考に翻弄されたり、誰かと一緒にいることを求めたり、娯楽に夢中になったりして空いた時間を埋めるように生きているのが現代人です。しかし、その一人で過ごす時間こそが自分を知るために必要な有意義な時間なのです。
この宇宙を司る法則である神・イーシュヴァラとの分離があると、一人の時間が孤独で寂しく恐れや不安になってしまいます。まずはそのイーシュヴァラに気づいていき、心臓を動かしてくれ、無意識に呼吸をして酸素を体内に取り込み老廃物を吐き出し体の恒常性を保ち生かしてくれている存在、何もかもを全自動で全てを与えてくれている人が常に離れず共にいることを知り感謝を溢れさせることから始めていきます。そして、最終的にはその神であるイーシュヴァラこそが自分自身であるという理解に至るための方法論がヴェーダーンタです。
私たちは体や感覚、考えが私であると思い込んで生きてきましたが、真実の自己とは、限りなくこの宇宙に遍く広がりすべてに行き渡り満ち足りている時間も空間も超えた変化することのない永遠の意識という存在です。
最初の段階では体や感覚、考えは自分ではなく自分が使っている道具であるということを理解するために否定していきます。私は〇〇です、と自己紹介や履歴書に書く「私」は、実際は「私」ではなく「私の」管理しているものなのです。全ては与えられ、一時的に任されているものです。
そして世界に対しても、不完全で足りない自分を満たしてくれる、幸せでない自分を幸せにしてくれると思い求めては執着してきた人や物、お金や地位や名誉などの対象物は何もかもが移り変わり、手に入れてもいつか色褪せ失いゆくものであり、捉えられる対象物の中には本当の幸せはないことを知るために否定していきます。そして残るものがまるで何もないように思える姿形のない、対象物として捉えることのできない存在を理解していきます。それが自己であり、その自己が「私」と認識しているたった一人の人であることを理解したら、否定してきた身体や感覚、心の複合体は神・イーシュヴァラが現れる寺院のような神聖な場所であり、この複合体を通して現れた意識的存在であり私として自明な自己からありのままに世界を見ていくと、全てがイーシュヴァラの現れた姿であり愛そのものとして捉えられるようになります。
世界と自分をあるがままに捉えることができると、この宇宙に現れた空間も風も太陽も水も大地も、全ての生きとし生けるものも何もかもがたった一人の人から現れており、その全てを生かしているのはこの宇宙の法則であり神であるイーシュヴァラであり、それが自己であるということを知ります。その自己の中に全てがあり、さらにはその全ての生きとし生けるものの中に自己が存在し、全てが自分でありたった一つであるという同一性を理解することがワンネスといわれる最終的な結論であり人生のゴールであるモークシャ、自由と解放、つまり究極の悟りです。
こうして一旦否定したものを高次のものへ統合する止揚と演繹的推論の論理的思考をもって完全な理解に至ります。
それを理解した後は、全ての間違った認識を根こそぎ破壊して根本的な問題を解決し、あらゆる苦悩から完全に解放されます。
モークシャを得た後のジーヴァンムクタとして残りの人生は、全ての生きとし生けるものに対してもどのような人に対しても主観的な判断をすることなく、偏見や先入観を持つこともせずに同じ存在であると見ることで、愛や慈しみを持って優しさと思いやりで与える生き方をすることなのです。たとえ悪事を働く人や人に嫌な言葉や行動をする人であっても、そうせざるを得ない背景を理解し、それさえも愛で受け止め理解し適切な対応を取ることです。
さらには、最も崇高な存在であると理解したら、それ以上に知るべきことは何もなくなるので余計な思考に惑わされることがなくなり高い能力を発揮できるようになります。
移り変わることのない永遠の幸せは、自分自身そのものなのです。

知ることに心からの喜びが湧き起こる

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