- Pañca mahā yajñaとは
- Deva yajña(デーヴァヤッニャ):神々
- Ṛṣi yajña(リシヤッニャ):聖者や先生
- Pitṛ yajña(ピットゥルヤッニャ):先祖や両親
- Manuṣya yajña(マヌッシャヤッニャ):人間
- Bhūta yajña(ブータヤッニャ):生きとし生けるもの
Pañca mahā yajña(パンチャマハーヤッニャ)とは
Pañcaは5つ、mahāは偉大、 yajñaは儀式という意味です。私たちが生きている世界は、神々、聖者、先祖、人間、その他の生きとし生けるもの、その5つが偉大な存在であり、それらに感謝と敬意を込めて儀式を行うことです。
Deva yajña(デーヴァヤッニャ):神々
Deva yajña(デーヴァヤッニャ)とは、神々へ捧げる祈りの儀式です。全てはdeva(デーヴァ)、神々のものであり、この地上で管理を任されている人間が火の儀式によって捧げ物をすることで、あらゆるものは神々から必要な時に与えられていることを感謝し、敬意を表すために儀式をします。神々へ捧げれば私たちにも与えられることを理解することができます。Vedaで申し付けられているvaidika karma(ヴァイディカカルマ)であり、微かな世界から物理的世界に現れた要素である火を使った儀式、agṇi hotra(アッグニホーットラ)を執り行います。家庭においても夫婦で執り行う儀式、pūjā(プージャー)があります。
Devaは自然を司る神々であり、Pañca mahā bhūta(パンチャマハーブータ)、5つの偉大な要素としてもこの世界に現れています。
Ākāśaḥ(アーカーシャ)、空間、vāyuḥ(ヴァーユ)、風、tejaḥ(テージャ)、火、āpaḥ(アーパ)、水、そしてpṛthivī(プリティヴィー)、大地として、この地球を養い支えています。Sūryaḥ(スーリヤ)、太陽や、parjanyaḥ(パリジャンニャ)、雨、indra(インドラ)、雷などもdevaであり、必要な時に海から水を集め大地を潤し、生きとし生けるものに栄養を運び循環させています。
私たち生きとし生けるものの感覚器官や思考、生理機能、肉体をも司どり、生命を維持できているのはdevaの働きがあるからであり、生きていられることに感謝を捧げ、人間の限られた能力を超えた力によって宇宙全体が見事に統括されていることへの敬意を表します。
あらゆる物事は、たった一人のĪśvaraですが、その機能が枝分かれしていくことで、それぞれの機能を担っているのがdevaたちです。一人の側面としてさまざまな姿で現れています。
Ṛṣi yajña(リシヤッニャ):聖者や先生
Ṛṣi yajña(リシヤッニャ)とは、聖者や先生に対する感謝や尊敬を表す儀式です。
真実の知識は、この宇宙の始まりにDakṣṇāmūṛti(ダクシナームールティ)が4人のṛṣi(リシ)に教えたことから始まり、遥か遠く古来から口伝によって継承されてきました。
現代から遡ると、目の前にいる先生がいて、その先生にも先生がいて、紀元前の偉大な先生にもつながります。
カリ・ユガの時代に入り、聖典の間違った解釈が広まり正しく理解できない人が多くなる時代が来ました。その時代に聖典に解説を付けた代表的な先生でもあるādi Śankarācārya(アーディシャンカラーチャーリヤ)や、叙事詩 Mahā bhārata(マハーバーラタ)を残したVyāsa(ヴャーサ)、代々辿っていくとMarīci(マリーチ)、Aṅgiras(アンギラス)、Atri(アットリ)、Pulastya(プラスティャ)、Vasiṣṭha(ヴァスィスタ)、Pulaha(プラハ)、そしてKratu(クラトゥ)の7人のmahaṛṣi(マハリシ)に行き、さらに最初の4人のṛṣiに行き着き、Dakṣṇāmūṛti(ダクシナームールティ)として現れた源のĪśvaraに辿り着きます。
こうして、この知識は何千年も超えて教え継がれてきました。誰もが本当は追い求めている、自分こそが幸せであるという絶対的な結論を知り、手に入れては失うものへの執着ではなく、本当の幸せを理解することができるのは、このような伝統があるからこそです。その伝統を守り続けてきた聖者、そして全ての先生方への感謝と敬意を表す儀式です。
Pitṛ yajña(ピットゥルヤッニャ):先祖や両親
Pitṛ yajña(ピットゥル ヤッニャ)とは、ご先祖様や両親に対する感謝を表す儀式です。
私たちがbhū loka(ブーローカ)、この世界に生まれるということは、人間が最も得るべき最大の結論であるmokṣaに到達するためです。この人間の体を持った時にだけその結論を追い求め、理解することができます。なぜなら、自己意識が最も高いのは人間であり、多くの苦悩を抱える一方で自由意志を持ち、推理推論が働き論理的に考えることのできる知性を与えられているからです。その知性が正しく働くことによって、最後の結論を理解し、幸せの源である自己の本質にとどまることができます。
その追求ができるということは両親がいなければ叶いません。さらにその両親である祖父母、曾祖父母、さらに先祖代々へと続く、個人として生まれた自分のルーツへの感謝と敬意を表します。可能であれば自分たちの子孫も残していくことも、このPitṛ yajñaの継続になります。
Manuṣya yajña(マヌッシャヤッニャ):人間
Manuṣya yajña(マヌッシャヤッニャ)とは、人間に対する奉仕です。
聖典を教える先生方、そしてそれを学ぶBrahmacārya(ブラフマチャーリヤ)、学生、Vānaprastha(ヴァーナプラスタ)、隠退準備期、Sannyāsa(サンニャーサ)、隠退期にある人々を支えるのが、Gṛhastha(グラハスタ)、経済人、家庭人の役割です。また、4つのVarṇa(ヴァルナ)のKarma vibhāga(カルマヴィバーガ)で見た社会構造では、それぞれの役割を通して貢献することでもあります。知識の教授をして神々への祭祀を行う人々がいなければ、社会構造そのものが崩壊します。そして、人口の把握と管理、公共施設や必要な資源を提供することなど、国や地方を守る役割があるからこそ、安心して地域で生活することができています。それぞれの役割の人々の衣食住を支える役割がなければ安全な生活も不可能です。それには運搬や通信などのプロバイダーがあるからこそ、全てがスムーズに動いています。一人一人が自分の役割をこなしながら自分で運び、自分で情報を届けに行くとしたら、大変なことです。その代わりを担ってくれている役割があることによって、自分の義務に専念できています。それを忘れず、それぞれの役割への貢献として社会活動を行うことが奉仕になります。
自分の欲を満たすためではなく、それぞれの役割の人々があって満たされていることに感謝し、その人たちが満たされるために自らの義務を通して与えることに喜びを持ちます。
与えれば与えるほど与えられるという社会全体が一つの構造であり、それ自体がĪśvaraの姿であることを理解し、感謝と敬意をもって貢献することです。
Bhūta yajña(ブータヤッニャ):人間以外の生きとし生けるものへの貢献
Bhūta yajña(ブータヤッニャ)とは、人間以外の生きとし生けるものへの貢献をする儀式です。
この地球上で生態系を維持し、人間が生存できているのは、極小の微生物から植物、昆虫、鳥、魚、動物まで、人間以外のさまざまな生き物がいるからであり、それぞれの食物連鎖や食物網によって循環し保たれています。その中には、ミクロの世界で見ればまだ名も知れぬ生き物もいます。マクロの世界で見ても、この宇宙の果てにはどのような惑星があるかさえ知り尽くすことはできず、そこに生き物がいないともいえません。この宇宙全体をあらゆる生き物がそれぞれの役割を果たしながら、人間が生きるために必要なものを支えてくれています。
その生きとし生けるものへの感謝を込めて祈りを捧げ、その命を奪うことをできる限り避け、彼らに食べ物を与える貢献をします。コーラム、またはランゴーリといわれるものも一つの儀式です。


