Prakaraṇa : Tattvabodhaḥ

Tattva Bodhaḥ タットヴァボーダ

このTattva Bodha(タットヴァボーダ)は誰が作者かも分からない作品ですが、Ādhi Śankarācāriya(アーディ・シャンカラーチャーリヤ)と同じことが述べられているため、お弟子の方が著されたものであると考えられています。
あるsādhū(サードゥ)が亡くなる前にたくさんの書籍をSwami Dayānanda jiのところに届けるよう遺言を残し、実際にDayānanda jiの元に届けられました。
ある日、Swami Dayānanda jiのところへ、フィージー出身のsādhūがやってきてアメリカでBhagavadgītāを話したいので10回で教えて欲しいと言いました。Bhagavadgītāは長編であるため、Swami Dayānanda jiは丁度良いサイズのものを探していたところ、たくさん届いた書籍の中からこのTattva Bodhaを発見しました。そのsādhūはバジャンを歌いハーモニウムも弾けるため十分であると判断し教えましたが、完結することはできませんでした。しかし、そのsādhūはある程度の満足を得て海外へと旅立ちました。その後、元々居たアシュラムのSwamiから郵便でsannyāsā(サンニャーサー)を獲得したそうです。
それ以来、Swami Dayānanda jiは、全てのコースの最初にこのTattvaBodhaを教えるようになりました。
様々なUpaniṣadからいくつかの方法論が取り入れられ、分かりやすくまとめられた小さな聖典Tattva Bodhaが一番最初の聖典として教え継がれています。
Prakaraṇa(プラカラナ)とは、正統な聖典であるśruti(シュルティ)と呼ばれるUpaniṣadや、smṛti(スムルティ)と呼ばれるBhagavadgītāなどの地位ではありませんが、主題がātmāの本質を明かすśrutiと同じ内容である小さな聖典のことを指します。自己であるātmāの本質を解き明かす本という意味でPrakaraṇa grantha(プラカラナ・グランタ)とも呼ばれます。

वासुदेवेन्द्रयोगीन्द्रं नत्वा ज्ञानप्रदं गुरुम् ।
मुमुक्षूणां हितार्थाय तत्त्वबोधोभिधीयते ॥

vāsudevendrayogīndraṃ natvā jñānapradaṃ gurum mumukṣūņāṃ hitārthāya tattvabodhobhidhīyate
尊敬するyogīの中のyogīであるVāsudeva・Indra、知識を与えてくれた先生に尊敬の態度を示し、mokṣa(自由)を望む人々のためにTattvabodha(真実の知識)が語られます。
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目の前にいる先生を始め、歴代の先生、Ādhi Śankarācāriya、最初のrṣi(リシ)たち、そして一番最初の先生であるDakṣnāmūṛti(ダックシナームールティ)へと脈々と繋がる知識の教授をしてくれる先生方への感謝と尊敬が込められた作者の祈りと、今これを学ぶ私たちの祈りが一つになることから始まります。

前半の章では、本題に入る前にこの学びを通して知識が理解できる人の資質について語られています。

साधनचतुष्टयसम्पन्नाधिकारिणां मोक्षसाधनभूतं
तत्त्वविवेकप्रकारं वक्ष्यामः ।

sādhana catuștaya sampannādhikāriṇāṃ mokṣasādhanabhūtaṃ
tattvaviveka prakāraṃ vakşyāmaḥ ||
4つの側面からなる資質を授かったadhikārī(適正のある人)がmokṣa
を得るための道具、tattva-viveka-prakāraṃ(真実を識別する方法)を私たちはお話ししましょう。
साधनचतुष्टयं किम् ? नित्यानित्यवस्तुविवेकः । इहामुत्रार्थफलभोगविरागः ।
शमादिषट्कसम्पत्तिः । मुमुक्षुत्वं चेति ॥

sādhanacatuṣṭayaṃ kim ? nityānityavastuvivekaḥ ihāmutrārthaphalabhogavirāgaḥ śamādiṣaṭkasampattiḥ mumukṣutvaṃ ceti
4つの側面を持つ資質とは何ですか?永遠と移り変わるもののvirāga(執着が落ちた平静さ)、śama(整った考えにあるゆとり)などの6つの側面を備えていること。そして、mumukṣutva(mokṣa願望が最優先な人の性質)です。

नित्यानित्यवस्तुविवेकः कः ?
नित्यवस्त्वेकं ब्रह्म तद्व्यतिरिक्तं सर्वमनित्यम् ।
अयमेव नित्यानित्यवस्तुविवेकः ॥

nityānityavastuvivekaḥ kaḥ ?
nityavastvekaṃ brahma tadvyatiriktaṃ sarvamanityam ayameva nityānityavastuvivekaḥ
永遠と時間に束縛され移り変わるもののviveka(識別)とはどういうことですか?永遠で限りのないものは唯一Brahmanであり、それ以外のものはすべて時間に束縛され限りのあるものです。これこそが永遠と時間に束縛されるもののviveka(識別)です。
श्रद्धा कीदृशी ? गुरुवेदान्तवाक्यादिषु विश्वासः श्रद्धा ॥
śraddhā kīdṛśī ? guruvedāntavākyādiṣu viśvāsaḥ śraddhā
どのようなśraddhā(信頼)ですか? Vedāntaの言葉や先生に関する信頼がśraddhāです。
※個人的な考えが優位になると聖典の言葉が働かず、間違った捉え方になり正しい知識が宿らないため、自分の考えを聖典と先生に明け渡すことです。
समाधानं किम् ? चित्तैकाग्रता ॥
samādhānaṃ kim ? cittaikāgratā
samādhānaとは何ですか? 考えが最も身近で唯一のものに整うことです。
※全てに同じ神・Īśvara、つまり法則や秩序として一つの存在を見ることです。
मुमुक्षुत्वं किम् ? मोक्षो मे भूयाद् इति इच्छा ॥ 
mumukṣutvaṃ kim ? mokṣome bhūyād itycchā
Mumukṣuの性質とは何ですか? どうか私にmokṣaが叶いますようにという願望です。
एतत् साधनचतुष्टयम् । ततस्तत्त्वविवेकस्याधिकारिणो भवन्ति ॥
etat sādhanacatuṣṭayam tatastattvavivekasyādhikāriṇo bhavanti
これが4つの側面を持つ資質です。したがって、真実を識別するadhikārīたち(資質を授かった人たち)がいます。
विरागः कः ? इहस्वर्गभोगेषु इच्छाराहित्यम् ॥
virāgaḥ kaḥ ? ihasvargabhogeṣu icchārāhityam
Virāga(執着が落ちた平静さ)とは何ですか?この世やあの世の体験に関して執着がないこと、執着から自由であること。
※執着のなさとは、全てを放棄することや無関心になることではなく、それがなくても自分は満たされ安心であるという理解のもとに起こる落ち着きのことです。

शमादिसाधनसम्पत्तिः का ? शमो दम उपरमस्तितिक्षा श्रद्धा समाधानं च इति ॥
śamādisādhanasampattiḥ kā ? śamodamoparamastitikṣā śraddhā samādhānaṃ ca iti
śamaなどの資質を授かることとは何のことですか?Śama(整った考えにある平安)、dama(耐えること)、śraddhā(信頼)、そしてsamādhāna(唯一のものにとどまる考え)を授かることです。
※忍耐とは我慢することではなく、落ち着いた考えには目の前の状況がどのようなものであれ、好ましいものに引き寄せられたり嫌悪によって避けて逃げるなどがなく、それを寛容に受け止め感情に振り回されることがない平穏さということです。
शमः कः ?मनोनिग्रहः ॥
samaḥ kah? mano nigrahaḥ
śamaとは何ですか? 考えをしっかりと統制することです。
※目の前のことに個人的な主観を上乗せした見方をすることなく、自分の考えを客体化して分析しながら目の前の状況をあるがままに見ることです。
दमः कः ? चक्षुरादिबाह्येन्द्रियनिग्रहः ॥
damaḥ kah? cakṣurādibāhyendriyanigrahaḥ
Damaとは何ですか? 目などの感覚器官や行動器官をしっかりと統制することです。
※感覚器官から入る情報によって欲望が生じ、その切望によって行動しますが、過度な愛着が依存となり困惑するためそれを識別することです。
उपरमः कः ? स्वधर्मानुष्ठानमेव ॥
uparamaḥ kah? svadharmānuṣṭhānameva
Uparamaとは何ですか? 自分自身のdharma(義務)にしっかりとどまることです。
※自分のすべきことが楽しく喜びであることです。
तितिक्षा का ? शीतोष्णसुखदुःखादिसहिष्णुत्वम् ॥
titikṣā kā? śītoṣṇasukhaduḥkhādisahiṣṇutvam
Titikṣāとは何ですか? 寒さや暑さ、心地良さや辛さなどに耐えることです。
※寒ければ文句ばかり言うのではなく調節し、辛い状況であればどう対応すべきかを客観的に考え対処し、周囲と協調して過ごすことです。

この資質が養われるための方法がkarma yogaでBhagavadgītāで詳細に述べられています。資質が整った人が自己の本質について知りたいと願い、先生に教えを乞うことで聖典の最後のupaniṣad、つまりVedāntaが教えられます。そして人生において最も追い求めるもの、parama puruṣārtha(パラマ・プルシャールタ)であるmokṣa(モークシャ)を叶え人生のゴールへと到達します。

本題に入ると、以下の内容が詳細に教えられます。

①Ātmāとは何か 
②Ātmāはstūla(粗雑な身体であり存在する、誕生する、育つ、変態する、衰える、朽ち果てる6つの変化を持つもの)、sūkṣma(微細な身体であり良いkarmaの結果から生まれ、空間、風、火、水、土の5元素から5つのprāṇa、5つの感覚器官、5つの行動器官、1つのmanas、1つのbuddhiの17の機能)、kāraṇa(始まりがなく終わりのない無知の姿をしたstūlaとsūkṣmaの単なる原因)śarīra、3つの身体から識別されるもの。 
③Avasthā traya sāksī :体験の3つの状態の目撃者 jāgrat(起きている状態)、svapṇa(夢見)、suṣpti(熟睡)avasthā(状態)
④Pañca kośa atītaḥ 5つの鞘を超越したもの:annnamaya(食べ物のエッセンスによってのみ生まれ、成長し食べ物の姿をした大地の中に解消する肉体)、prāṇamaya(5つの風、つまり生理機能と話すなどの5つの行動器官)、manomaya(感情気分を伴い揺れ動く考えのmanasと5つの感覚き器官が共にある)、vijñānamaya(buddhi、知性と5つの感覚器官がともにある)、ānandamaya(kāraṇa śarīraの特徴として無知が根付いている不純なsattvaで、priya、喜びなどの考えの形を伴う)、ātmāはこれらのどれでもない。
⑤Ātmāはsat cit ānanda:常にあり続ける存在であり意識であり限りのない幸せが自己の意味。
⑥24の要素からなる宇宙創造について、 Brahmanに頼ってsattva、
rajas、tamasの質を授かるmāyāについて。5大元素のsattvaな部分から知的器官が現れ統括神がある。5大元素のrajasな部分から行動器官が現れる。5大元素のrajas全てからprāṇaが生まれる。5大元素のtamasの部分からstūlaな世界が現れる。

⑦Jīveśvara aikyam 小宇宙と大宇宙の一元性:無知がupādhiとなりātmāがjīvaと呼ばれ、māyāがupādhiとなりātmāはĪśvaraと呼ばれる。個人の観念を持つahaṅkāraと全知全能のĪśvaraがどのように同一視できるのかが明確に語られています。
⑧Jīvanmukti 生きながらにして解放された人:prārabdha karma(今世与えられた人生を作るkarma)、āgāmi karma(今世の行いによって作り出されたpuṇyaとpāpa)、sañcita karma(以前に成された行いによって生み出された膨大な種の形のkarma)が、知識を得た人はすべてが焼き尽くされその人自身に結果は実らないが、知識を得た人を称賛しお世話をする人のところへjīvanmuktiのした良い行いの結果が実り、知識を得た人がした悪い行いの結果がその人を非難し嫌い不快感を与える人々に言うに言われぬpāpaの性質を持った全てのkarmaが与えられる。
⑨Ātmāを知る人は哀しみを超える:何かになろうとする人生を終え、saṃsāraの大海を超えBrahmanのānandaをこの世界で得ます。

その他、upadeśasāraやātmabodhaḥなど、さまざまなprakaraṇaを読み解いていきます。

ॐ-oṃ

Sanskrit Grammer

Śruti : Upaniṣad

Smṛti : Bhagavadgītā

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