VEDAの最後、VEDĀNTA = UPANIṢADとは、自分自身の本質の知識

古くはインドのガンジス川の辺りに集まって、この知識を学んでいました

宇宙の始まりに神が聖者に伝えた真実の言葉の数々。古来から口伝で継承されてきた知識ですが、紙やペンのない時代には、サンスクリット語のデーヴァナーガリーという文字で葉っぱや石板に書き残された時代もありました。現代ではサンスクリット語から世界中の言語に翻訳されたテキストが残されています。

Guruparamparā(グルパラムパラー)というグルから授かった教えを、また弟子に正しく教授し続けるシステムによって遥か遠く古代から教え継がれてきた知識体系であるVeda。前半の9割以上はkarma yogaといわれる原因と結果の法則と儀式や日常生活の行いについてであり、考えを綺麗に整えて最後の結論を理解するための知性を養う生き方が教えられています。そして、その結論であるsat cit ānanda、存在、意識、限りのない幸せが自分の本質であり、その自己こそがすでに自由であり、完全で無限、永遠の存在であるBrahmanであるということを正しく理解するための知識が教えられているVedānta。
古来から口伝で継承されてきたこの知識ですが、聞くだけですべてを覚え理解していた時代から、人間の知的レベルが低下するkali yuga(カリ・ユガ)の時代に向けて文字として残されるようになりました。
それがsanskrit語のदेवनागरी、devanāgarī(デーヴァナーガリー)という文字です。
偉大な先生、Ādi Śankarācārya(アーディ・シャンカラーチャーリヤ)は、このdevanāgarīを使って文献に解説、bhāṣya(バーシヤ)を付けました。Upaniṣadは108あり、そのうち知識について説かれている以下にある10のupaniṣadにvasyaを付けました。
<Ṛg Veda>Aitareya <Yajur Veda>Taittirīya、Īśa vāsya、Bṛhadāraṇyaka、Katha  <Sāma Veda>Chāndogya、Kena <Atharva Veda>Māṇḍūkya、Muṇḍaka、Praśna
それをインドで教え継いでいく間に英語に翻訳され、スワミジが英語で話されたクラスを日本語に翻訳しながらクラスを開催しています。

知恵によって生と死の苦しみを破壊する3つの世界の神であるSiva(シヴァ)の化身でこの宇宙そのものの純粋意識であり、無音のOmを意味する偉大な一番最初のguru(グル)、先生であるDakṣṇāmūṛti(ダクシナームールティ)が4人のṛṣi、聖者たちに教えました。彼は沈黙のままchin mudraという手の形でtat tvam asi、あなたがあれであるというvedāntaの真髄を教えました。親指はBrahmanで人差し指は純粋な意識であるātmā、つまり自分自身の本質で、それ以外の三本の指は身体、感覚、心を表し、自分の本質がBrahmanと離れていない真実を表すために親指と人差し指で輪を作っているのが象徴的な形です。
そのṛṣi(リシ)たちがまたguruとなり生徒、śiṣya(シッシャ)に教え、またそのśiṣyaがguruと同じ理解になって次のśiṣyaに教える伝統の継承方法によって、5000年以上経った今でもそのまま変わらず同じ知識を今この時代にも学ぶことができています。Guruの意味は、guが暗闇でruがそれを追い払うもの、つまり光であり、無知を追い払う知識の光という意味です。
DakṣṇāmūṛtiとはDakṣṇāが南でmūṛtiが姿で、文字通り南を向く者という意味ですが、南は無知やsaṃsāra(サンサーラ)、輪廻と、mṛtyu(ムルッテュ)、死などを意味し、北は不滅やmokṣa(モークシャ)を意味します。Dakṣṇāmūṛtiは全てを超越しているため南を向き、教わるśiṣyaたちは北を向くことになります。
私たちは自己への無知によってたくさんの間違った記憶から、自分とは何者かを正しく認識することができません。Dakṣṇāmūṛtiの教えを受けることで、無知によって生と死を繰り返すsaṃsāraから解放されるため、間違った自己認識を持つ個人の観念であるjīvaを南に向けて死すべく、真の自己を探求しmokṣaを得るために北を向いてguruに考えを明け渡し身を委ねることが大切です。

どれだけたくさんの土でできたポットがあっても、その本質は皆、同じ土です。ポットの姿形がなくなったとしても、土はなくなることはありません。
同じように、私たち人間を含め、生きとし生けるものすべては、姿形や国籍、性別、名前は違えど、その本質は誰もが同じたった一つの意識です。それ神と呼びます。
しかし、これまでに記憶してきた言葉の概念が邪魔をして、本来の言葉の意味を正しく捉えずに、様々な認識の違いが起こることから争いや否定的な感情に発展してしまうこともあります。そのため、言葉を正しく理解していくプロセスが非常に大事になるため、このVedāntaの学びはguruからśiṣyaへ直接言葉を教え、対話を通したその過程で言葉の認識の誤りを正していくことが重要になります。
身体や感覚、観念を含む心を私であると思い込んで生きているのが大半の人々です。私がやった、私のもの、私私私…。その小さな私は取るに足らないちっぽけな人間であると結論づけていることから、世界は大きく圧倒して見えるため比較や競争、自己主張や自己卑下、所有欲や承認欲求、誇大的になったりして恐れや不安から取るに足りるために行動してしまいます。その個人の観念を全て破壊するのがupaniṣadです。
真実は、すべてが神の法則でできており何もかもが与えられ、失ったように見えるものも形を変えて移り変わりながら違うものに還元されています。持っているものは一時的に管理を任されたものであり、何もかもがたった一人の意識であり神であるBhagavānのものなのです。この宇宙創造も同じく、全てが創造され維持した後解消し、何もかもが消え去り宇宙が眠るmahā pralaya(マハープララヤ)の後も、māyāの中に潜在的な私たちのkarmaの種が膨大にあり、願望の強烈な圧力で芽を出し、再び宇宙創造が始まりBrahma jiが生殖機能としてprajāpatiを作り知識を転写してたくさんのjīvaが現れます。それをすべて展開させているのがBhagavānです。
私たちはそのBhagavānに身を委ね考えを明け渡し、この知識により最後の結論を理解できれば生と死による世俗的な苦しみの一切が破壊され恐れや不安は全て消え去り、最初から幸せで満足な自己から安心して与えられる穏やかで平和な人間性を持って謙虚に生きることができます。
Brahmanは常にあり続ける存在なので、当たり前に常にあるものには気づかなくなってしまいます。それを改めて認識していくのがこの学びです。

天国に行ってから学ぶのではなく、今ここで生きている間に
学び理解し、Mokṣaを得て幸せに満ち足りた人生を生きること

5000年以上にも渡り受け継がれてきた知識は、時代が移り変わり人々の生活様式が変化しても、本質は全く変わらぬ存在。それを教えてくれるのがVedāntaです。
最も高い次元の天国、Brahmaloka(ブランマローカ)に行くと、Brahmā ji(ブランマージ)から直接このVedāntaを学ぶことができるといわれています。しかし、そのためには熱心にこの世界で生きている間に徳の高い生き方をして、膨大な良い行いの結果であるpuṇyaを集める行いをし、執着を手放し全てにĪśvaraを見るために徹底的に瞑想をするupāsakaでなくては、そのbrahmalokaに行くことはできないとされています。たとえ努力してbrahmalokaに行ったとしても、再びこの世界、bhūloka(ブーローカ)に戻って人生を歩むことになり、努力の結果として良い人生になるとされていますが、前世の記憶があるわけではないため人間の苦悩を体験し、再びこの知識に出会う機会を得てmokṣaを目指してこのbhūlokaで学びの続きをしなければなりません。
かつてはbrāhmaṇa(ブラーンマナ)といわれる祭祀を司る人々の中でも男性だけに教え継がれてきた知識ですが、現代では学びたいと思った人がその生き方をすることでbrāhmaṇaとなり、国籍や性別に関わらず世界中のどこにいても日本でも学ぶことができるようになりました。そして、この知識が完成すれば、その人は生きながらにして解放された人、Jīvanmkta(ジーヴァンムクタ)となります。

उपनिषद् : Upaniṣad(ウパニシャド)の意味は、षद् : ṣad(シャド)という動詞の原型がありますが、それにはविशलति : viśalati(ビシャラティ):崩壊させる、अवसावयति : avasāvayati(アヴァサーヴァヤティ):根絶させる、गमयति : gamayati(ガマヤティ):理解させる、辿り着かせる、この3つの意味があります。望まないものを全て崩壊させるだけではなく、二度と戻ってこないよう根絶させる、つまり、自分自身でありこの宇宙の基盤であるBrahman(ブランマン)の知識を完全に得られるようにしてくれるのがUpaniṣadです。
उप : upa(ウパ):近い、 という意味で、一番求めているものが神であるBrahmanとしての自己のことです。
नि : ni(ニ)は、निश्जय : niścaya(ニシュチャヤ):確実性、解決、検証した上で確固たる理解となることを意味します。
उप:upaとनि:niがつながると、आत्मविद्या:ātmavidyā(アートマヴィッデャー):自己の本質の知識という意味になります。
このように、Upaniṣadそのものがこれまでの自分自身に対する無知を根こそぎ破壊し根絶してくれるものであり、真実の知識を理解させてくれる手段、道具、प्रमाण : pramāṇa(プラマーナ)なのです。

Smṛti:Bhagavadgītā

Prakaraṇa :Tattvabodhaḥ

ॐ-oṃ

Sanskrit Grammer

PAGE TOP